no.005 本当に足りないものなんて

 今人口問題やばいでしょ、環境問題やモラルの低下もやばいでしょ、あの人たちはもう、私たちの自由を奪う決断をした。
私たちは助け合っていかなければ、少数しか助からなくなるよ。
そんなに人より優れていると感じたいの?全ての人は違う愛の輝きを放っている、多様性を認めるなんて言葉すら野暮ったいそんな世界。創ればいいのに。
本当に足りないものなんて実はそんなにないんじゃない?僕はこれだけで十分なのに、これだけじゃダメですか?ですよ。


 地球には綺麗な風景や自然が沢山ある。素晴らしい。思うに、人間である意味は音楽を愉しむことが出来ることだと思う。言葉を音に乗せて伝える、遊び。人生は遊び。
自然と音楽、好きな趣味、あと旅の出会いくらいの刺激が有ればたかが80年やらの時間はあっという間に過ぎるのに。


 しかし夜景やアート、テクノロジーも素晴らしい。
この時代はもう、物質文明としての最高到達点を迎えようとしている。2039年がそれか。
自分たちで好き勝手に地球を使ってきた。これからはそのテクノロジーを使って母なる地球を恩返しで救ってあげなくちゃいけない。すぐに人は使命を見失う。そんなに毎日張り切っていけねーよと聞こえてくる。それはそうだが怠けすぎだ。何時迄も、暇な人達が多い。暇な奴らは人しか見えてない。
向精神薬はあくまでもナチュラルでないといけないような気がする。
内側の世界を広げると外側の世界も広がり、輝きが増すことを、もっと早くに気付けられれば良かった。教えてくれる人が近くには在なかった。

でも愛する人に欲しいものがあるなら、それを与えられる人にはなりたいから、
朝を迎えることにも、感謝したいな。

no.004 善と悪

人生の究極の目的は「良い気分を味わう事」これのみだと言う考え方を聞いた。私が尊敬する詩人のFさんは「大人の唯一の義務はご機嫌でいること」だと言っている。この考え方は真実なのではないだろうか。なんだ簡単じゃないか。

 

憎しみや劣等感を感じて生きていきたいと考える人なんていない。しかし何故か、いつもご機嫌にいることすら出来ない、社会はそんなに甘くないぞ、なんてクソみたいな考えを振りかざしてくるアホみたいな大人が各地に散らばっている。貴方にとっての「悪」である。

 

この世界に、普遍的な「善悪」というものは存在するのだろうか、誰にとっての「善」はまた誰かにとっては「悪」であり、その反対も然りである。

増えすぎた人類を、減らすことは未来の人々にとっては善なのか

適度な生活スペースと快楽を与え、人々を管理し、無秩序と混沌を避けるように生かすことは、誰かにとっては善なのか

事実この地球を汚しているのは今の文明に生きる人々であるが、普遍的な悪は滅ぼされる対象となるのか

 

話がぶっ飛んだ。善悪という概念は二元論的な考え方である。「私」と「それ以外の人」、「私の住む日本」と「他の人が住む他の国」、「善」と「悪」。二元論的な考えがあるから「争い」が生まれる。内と外があるから「違い」を感じ、その「違い」が「自分」にとって善か悪か「判断」するから「憎しみ」が生まれる。

人が最期に思う事は自らの心の使い方なのだと聞いた。「素晴らしい人生だった」と心から言えれば100点満点。多くの人が「もっと人を愛せば良かった」とか「もっと愛されたかった」と後悔する。もっとお金を貯めておけば良かった、とかあのビジネスはこちらに展開するべきだった、とは思わないだろう。とにかく、自分の最期にどれだけの人が悲しんでくれるか、どれだけの人が貴方と出会えて良かったと涙を流してくれるのか、そういう事なんじゃないか。つまりは、みんな同じものを求めている。

 

終着点を見失った。

とにかく、もっと繋がろう人と人ということだ。

カタカムナに二元論的な考えは無いらしい。

ワンネスである。

 

 

 

 

#now playing music/お風呂上がりの

風にまたがったあなたの夢 一緒に見れたらいいのにな
ビルのアンテナに引っかかったまま 今もこちらを見ているようで

いつしか過去ばかり増えてゆき 捨てようにもどれも大事すぎて
後悔など何ひとつないぜ その声だけやたら大きくて

もうさ 分かってるよ 同じ人間同士だもん

心の癖も 得意の気持ちの ショートカットも
内容量、成分 同じ僕ら 僕ら

愛のない日々が僕らを包み 容赦ないバイバイに 張り裂けそうになる
それでも命のロウソクはキリよく その場でフッと消えてはくれない

あぁ 美味しいカレーが 食べたいな

お腹も眠気もいやらしさも ひと通りは満たしたあとで
襲ってくるあの寂しさはなに この世の何も満たせやしないとばかりに

遊ぶように生きれたらいいのにな そうやって僕らは来たけど
遊ぶにもコツがいるってこと 分かりはじめた僕たちは

もうさ 分かってるよ 同じ人間同士だもん

そんな顔するのも そんなこと言うのも
一応「なぜ」と聞いたりするけど
そんなの込みで 全部分かってる 全部分かってるよ

コンビニの棚に僕らがもしも 並ぶとしたら どこか分かるかい?
内容量、成分 同じ僕ら 僕ら 隣同士さ

愛のない日々が僕らを包み 容赦ないバイバイに 張り裂けそうになる
それでも命のロウソクはキリよく その場でフッと消えてはくれない

「現実は真実」と大それた言説を 声高に叫んだって 僕らは結局は
愛された実感と 求められた喜びを
胸いっぱい吸い込んで眠りにつきたいんだ

あぁ 美しい映画が 観たいな

no.003 感謝

ところで最近のTwitterのヘッダーに「ソクラテスの死」を採用した。民主主義の始まりであるアテナイソクラテス先生は理不尽な裁判にかけられて結果的にこの世を去ることになった。この瞬間から民主主義は腐敗し始めた。人間はだんだん堕落してあほになっていった。現在はそれが一周して賢くなろうとしてる時期なのか。って言う人類への戒めみたいな気持ちで、採用した。

 

瞑想を7分することで世界を平和にする革命をおこすっていう記事を見た。今ある手札で世界を平和にすることはもう不可能らしい。だから、何か、ちょっと角度を変えた動き方が必要なのだろう。人は、1人で生きていると「ヒト」ですが、誰かに喜ばれるように生きていくと、人と人の「間」で生きる「人間」に変わります。人の間で生きるということは「自分が必要とされている」ということです。「人間」の生きる目的は、欲しいものを得たり、何かを成し遂げることではなく、「人の間で喜ばれる存在になること」「『ありがとう』と言われる存在になること」なのだ。「しあわせ」の語源は「為し合わせ」なのだそう。お互いに与え合うことこそ、幸せの本質なのだそう。小林正観さんの「ありがとうの神様」っていう本すごく良かった。「感謝」が1番パワーを持っていて、感謝は最強だって。生きてることに感謝、大切な人と今日も会える感謝、今日もご飯を食べれる感謝、今日も友達と一緒にガンジャ、いや感謝。自分に怒ってくる人や苦手な人にも感謝

ができるようになると精神レベルが上がるんですね。今度精神レベルについても書こうと思う。

 

仕事の日はブログ書くの難しいな、今仕事がある、誰かのために働けて僕は嬉しい。ありがちょう。

707字

no.002 季節

涼しくなってきた、四季は其々好きだけど、冬は夜が長いから特に好きだ。春は人間生活に密着しすぎてる、ワクワクする春もあれば、凄く複雑な気持ちで迎える春もある、なんとなく不思議な季節。夏は暑すぎてたまにちょっと嫌になる。夏は凄い速さで駆け抜けるから、いっつも何かやり残した気がして、寂しさが残る。その寂しさを少し残したまま迎える、いつの間にか迎えてる秋が1番好きかもしれない。冬が深まってくるとそんな寂しさも感じなくなって、冬が連れて来た孤独と一緒に長い冬を耐えちゃんする。もうこれ以上暑くなって欲しくない。ジーパンにTシャツこれが1番良い。それか短パンにロンT。春先Style秋前Styleである。ずーっと秋くらいの気温でいい。この言葉は毎年言う。でも、四季があるからこその日本人特有の感覚があると思うから、やっぱりこのままで良いやと思う。

 

神様っているんだろうか。意識ってなんなのだろうか。小さい時からそんな不思議なことに思考を巡らすことが好きだった。

「思考とは自分自身ではない」と考えたのはサルトルであり、「我思う故に我あり」と考えたのはデカルトだ。現在もデカルトの考え方はよく聞くことがある。しかしこの考え方だと「思考とは自分自身である」となる。"思考"とは"エゴ"の根っこの部分か先っちょの部分かなんかであり、"意識の正体"ではない。サルトルは「我思う故に我あり」と思考している自分を客観的に認識する"もう1人の自分"の存在に気付いた。どういうことか。自分が思考していることに気付いた時、"気付いている意識"はその思考の一部ではないということだ。つまり、私達には「思考とは別の次元の意識がある」ということだ。本当はその"別の意識"が「我あり」と言っているということだ。

"気付き"とはなんなのだろうか。意識が何かを認識している状態だろうか。量子力学の「二重スリット実験」や「シュレーティンガーの猫」とかも繋がって来るのではないだろうか「観測者」や「存在」についての不思議。不思議すぎて怖くなる。

 

「DNA」「太陽」「神の粒子」「精神」「生命」「意識」、この世界とは一体なんなのだろうか。アウトプットが絶望的に足りていないものだから書く、話す、発信する。社会の歯車でいると自分がすり減ってしまう時もある、自分自身を大切に、感性を守りながら、意識的に生きていきたいと思う。

no.001 COVID-19

高野山で自粛することになって、瞑想できるようになった。空海は凄い人だと実感する。誰もが求める"生きてる感"は"今ここ"に全て存在していると体現した。空気を吸う呼吸の感覚、心臓を打つ脈の間隔、木や虫の声から世界の裏側の叫び声まで、全ての命の平安を願って入定された。ビガップである。  

今はまだ瞑想を習慣に取り入れて数日だが、早くも変化してきている。良い兆候である。自分の内側に目を向けるようになって、この世界の人間の不思議と同じくらいの不思議が存在していると実感できる。自粛期間中ならではの勉強が出来ている。  

高野山で瞑想はなんとなく効果があがりそうな氣がする、それにここは自然しかいいところがないから瞑想して散策して本よんで情報収集しかやることがない。退屈だがこれは修行なのだと戒める。

 

今日、目に止まったものにCOVID-19の解決策になるかもしれない報告書を見つけた、それはこんなものだった

"【症例】
ヒドロキシクロロキンを使用し症状が改善した COVID-19 の 2 例 Key word:COVID-19.ヒドロキシクロロキン
序文
2019 年の年末に中国で原因不明の肺炎が報告され SARS-CoV-2 が原因と判明してから,2 カ月しか経過 していないにもかかわらず,瞬く間に世界中へと広が り現在も感染者は増加している.本邦においても 2020 年 3 月 8 日 12 時時点で,COVID-19 は感染者 455 人,死亡者 6 人が存在し(クルーズ船を除く) ,更にこの中で人工呼吸器を使用,あるいは集中治療室に入室している者が 27 人と報告されている.しかし,今のところ COVID-19 に対する確立した治療方法は存在しない.日本感染症学会からは2020 年 2 月 26 日に抗ウイルス薬による治療の考え方(第 1 版)が提示され,ロピナビル・リトナビル(LPV/r)およびファビピラビルの 2 剤が治療薬に挙げられている.今回,経過中にLPV/rを投与したにも関わらず,治療反応性が乏しい 2 例を経験し,うち 1 例は人工呼吸管理を要する呼吸不全となった.新たな治療が必要と考えヒドロキシクロロキンの投与を行ったところ,2 例とも症状が改善したため報告する.

…(2症例)…

【考察】
今回,LPV/r を早期に開始した後も症状が増悪した ため,2 症例ともヒドロキシクロロキンを開始した. ヒドロキシクロロキン開始後 2 日目より 2 症例とも症 状が改善し始めており,ヒドロキシクロロキンが有効 であった可能性が考えられた.抗マラリア薬であるリ ン酸クロロキンは中国国家衛生健康委員会より出さ れている新型コロナウイルス診療ガイドラインでは 使用が推奨されている 1)が,本邦では生産されていな い.しかし,同じ薬物動態を示すヒドロキシクロロキ ンは本邦でも SLE の治療薬として認可されており, 中国では既に COVID-19 に対するリン酸クロロキンとヒドロキシクロロキンを比較した臨床試験が施行されている 2) .リン酸クロロキンにおいては,100 人以上の患者で肺炎像の改善,ウイルス排除率,有症状期間などで十分な差が得られたと報告がある 2) .本 薬は SLE に使用されているように抗炎症作用が知られた作用であるが,食胞内の pH を上昇させることや糖鎖付加を阻害することで,ウイルスの増殖を抑えることができる抗ウイルス作用も有すると考えられている 2)5) .本薬の副作用は少ないが,一方でまれな重大副作用として網膜症が挙げられる.累積投与量が 200g 以上と長期使用する場合には危険性が考慮されるが,今回 SLE に対する使用量でかつ短期間の使用に留まっており COVID-19 に対して安全に使用が可能と考える.COVID-19 の致死率については,最近の報告では 1.4%と発症者の母数が増えるにつれ低下しているが 3) ,集中治療室に入室し人工呼吸管理を要するような重症例の 28 日以内の死亡率は 61.5%と高く 4) ,ICU入室後死亡するまでの中央値も7日と短いことから早期に有効な治療介入を行う事が必要と考える.ヒドロキシクロロキンは今回重症例においても症状改善に寄与した可能性があり,副作用もほとんどなく安全に使えるため本感染症に対して第一選択薬あるいは併用薬として考慮すべき薬剤と考える.今後 COVID-19 が本邦で増加することが懸念されため,治療の一助となる報告となれば幸いである。"

 

といった報告書があった。ヒドロキシクロロキンでググれば今の所は画像付きのpdfで出てくるので医療知識のある方はぜひ一度拝見していただきたい。私は救急救命士なのだが医者ではない。peepとかecmoとか専門用語が多くてちょっと難しい。こんな報告書が上がっているのであれば、ことの真意は兎も角、政府は試験的にも臨床に取り入れるよう進めていくべきではないのか。このポンコツどもめ。

 

また利権なのか、小保方さんも石井さんもニコラテスラさんも、本当の天才とはいつの時代も大きな力に消されてしまうのか。資本主義ではもうおしまいである。この世の富は0.1%の人達がもっているとは驚きであり、それに氣づく人の数の方が多くなれば、それはもう経済崩壊である。いつまでこんな出来レースが続くのか。足るを知るは富むとはユダヤ教聖典の一つであるタルムードの財産についての章でたぶん書いてあった。この世界の問題の殆どは、エネルギーが必要はところにエネルギーが足りてない事によるものらしいとTHRIVEの中の人は言う。世界中の個人が自由にエネルギーを生産し使用できる発明が在れば多くの人が理想的な自己世界を築く力となって、99%の人達を管理することが難しくなるから、大きな力で消す。それを人々は忘れる。そうしてここ2000年と歩いてきたけれど、人類はそろそろ技術的に最高到達点の時代に来た。AIと人間の競争と共存。本当に静かに、騒がしい時代に踏み込んだものである。

 

最高の悲劇、最悪の喜劇、人生の魅せる美しい一瞬一瞬を味わって生きていきたいと思う。またコロナ前の生活に戻ることはできるのだろうか、それともコロナ明けには、コロナ以前の生活よりさらに便利になっているのだろうか。とゆうか、そもそも収束するのだろうか、もしこのままずっと収束しないなら、人類はどういう方向に舵を切るのだろうか。戦争だろうか、それともさらなる管理社会だろうか。

 

ご飯を食べて、さいきん流行のzoomでもしようか。やっぱり音楽聴いて、観たかった映画でも見よう。個人的にはコロナ前よりコロナ中の方がより良い波動を感じる。コロナ後に期待だ。散歩すると言葉を綴り易い。高野山ポケモンGOホットスポットのようで、やるか否かなんかで迷えて幸せ者だ✌️