no.004 善と悪

人生の究極の目的は「良い気分を味わう事」これのみだと言う考え方を聞いた。私が尊敬する詩人のFさんは「大人の唯一の義務はご機嫌でいること」だと言っている。この考え方は真実なのではないだろうか。なんだ簡単じゃないか。

 

憎しみや劣等感を感じて生きていきたいと考える人なんていない。しかし何故か、いつもご機嫌にいることすら出来ない、社会はそんなに甘くないぞ、なんてクソみたいな考えを振りかざしてくるアホみたいな大人が各地に散らばっている。貴方にとっての「悪」である。

 

この世界に、普遍的な「善悪」というものは存在するのだろうか、誰にとっての「善」はまた誰かにとっては「悪」であり、その反対も然りである。

増えすぎた人類を、減らすことは未来の人々にとっては善なのか

適度な生活スペースと快楽を与え、人々を管理し、無秩序と混沌を避けるように生かすことは、誰かにとっては善なのか

事実この地球を汚しているのは今の文明に生きる人々であるが、普遍的な悪は滅ぼされる対象となるのか

 

話がぶっ飛んだ。善悪という概念は二元論的な考え方である。「私」と「それ以外の人」、「私の住む日本」と「他の人が住む他の国」、「善」と「悪」。二元論的な考えがあるから「争い」が生まれる。内と外があるから「違い」を感じ、その「違い」が「自分」にとって善か悪か「判断」するから「憎しみ」が生まれる。

人が最期に思う事は自らの心の使い方なのだと聞いた。「素晴らしい人生だった」と心から言えれば100点満点。多くの人が「もっと人を愛せば良かった」とか「もっと愛されたかった」と後悔する。もっとお金を貯めておけば良かった、とかあのビジネスはこちらに展開するべきだった、とは思わないだろう。とにかく、自分の最期にどれだけの人が悲しんでくれるか、どれだけの人が貴方と出会えて良かったと涙を流してくれるのか、そういう事なんじゃないか。つまりは、みんな同じものを求めている。

 

終着点を見失った。

とにかく、もっと繋がろう人と人ということだ。

カタカムナに二元論的な考えは無いらしい。

ワンネスである。