no.002 季節

涼しくなってきた、四季は其々好きだけど、冬は夜が長いから特に好きだ。春は人間生活に密着しすぎてる、ワクワクする春もあれば、凄く複雑な気持ちで迎える春もある、なんとなく不思議な季節。夏は暑すぎてたまにちょっと嫌になる。夏は凄い速さで駆け抜けるから、いっつも何かやり残した気がして、寂しさが残る。その寂しさを少し残したまま迎える、いつの間にか迎えてる秋が1番好きかもしれない。冬が深まってくるとそんな寂しさも感じなくなって、冬が連れて来た孤独と一緒に長い冬を耐えちゃんする。もうこれ以上暑くなって欲しくない。ジーパンにTシャツこれが1番良い。それか短パンにロンT。春先Style秋前Styleである。ずーっと秋くらいの気温でいい。この言葉は毎年言う。でも、四季があるからこその日本人特有の感覚があると思うから、やっぱりこのままで良いやと思う。

 

神様っているんだろうか。意識ってなんなのだろうか。小さい時からそんな不思議なことに思考を巡らすことが好きだった。

「思考とは自分自身ではない」と考えたのはサルトルであり、「我思う故に我あり」と考えたのはデカルトだ。現在もデカルトの考え方はよく聞くことがある。しかしこの考え方だと「思考とは自分自身である」となる。"思考"とは"エゴ"の根っこの部分か先っちょの部分かなんかであり、"意識の正体"ではない。サルトルは「我思う故に我あり」と思考している自分を客観的に認識する"もう1人の自分"の存在に気付いた。どういうことか。自分が思考していることに気付いた時、"気付いている意識"はその思考の一部ではないということだ。つまり、私達には「思考とは別の次元の意識がある」ということだ。本当はその"別の意識"が「我あり」と言っているということだ。

"気付き"とはなんなのだろうか。意識が何かを認識している状態だろうか。量子力学の「二重スリット実験」や「シュレーティンガーの猫」とかも繋がって来るのではないだろうか「観測者」や「存在」についての不思議。不思議すぎて怖くなる。

 

「DNA」「太陽」「神の粒子」「精神」「生命」「意識」、この世界とは一体なんなのだろうか。アウトプットが絶望的に足りていないものだから書く、話す、発信する。社会の歯車でいると自分がすり減ってしまう時もある、自分自身を大切に、感性を守りながら、意識的に生きていきたいと思う。